2024年04月18日

のに認められないと嘆

さて。
ここまで書いて、停滞していた。
アップしない日が続く。(といっても2日間)
やはり、人に読んでもらってナンボというブログ、なんだか哀しい。
ウケないお笑い芸人のようだ。
が、スベリに耐えなければ、何も出来ない血尿檢查

世の中の才能がなく認められない芸術家は、自分では才能があるのに認められないと嘆いている。
芸術家だけでない。
才能を測りにくい。
自分だけでも楽しければ、生き甲斐になってよい。
たとえ悲しくても生き甲斐になってよい。
側から見れば、まるで理解できなくても、自分の糧になればよい。
認められたいなどと、とてつもなく厚かましい。
日本人特有の謙遜とか美徳とかではない。
本人は必死でも、周りとしては、わからんものは、わからんのである產後 紮肚

どこまでは許されるかを計算して、ギリギリまで攻め、尖ったエッジを効かせている、と評される若手タレントがいる。
ユニークな発声、発言の、あのanoちゃん。
時代が後から付いてきたかんじか。
そうではないと思う。
時代はもう進んでいたが、地下で生息していて表に出なかっただけだ。
地上波TVのCMや、NHK紅白歌合戦出演などで一般的に知られ知名度は上がっている。

今の時代は、やたら多様性を認める方向のものが多い。
今まで身を小さくして生きてきた人には生きやすい時代の到来、、、を目指しているようだ。 
それにしても、昭和人間のわたしでさえ隔世の感がある。
明治人間でアタマも身体もちゃんとして生きている人は、現在はほぼいないだろう毛孔粗大原因
(明治生まれ、最も若くて112歳)

バリバリの戦中派の姑に聞かせてあげたいものだ。
存命でも存命でなくても、聞く耳は持たないだろうけれど。
良きにせよ、悪きにせよ。  

Posted by greenso at 18:50Comments(0)

2024年04月11日

最後には選択肢がなく

わたしが最も苦手とするのは、自分から自発的に能動的に動くということだ。
自分で考えて自分で決断して自分で行動する。
この局面になると、途端に苦しむ服務式住宅
受動態が楽。
どうしたい?わたし?
どうすればいい?わたし?
2択か3択。
①する②しない③保留

わたしは保留が多く、もたもたしている間に選択肢が狭まり、最後には選択肢がなくなる。
それは避けたい、と考えに考えるのだが、熟考しすぎて、決断できない。 
これを優柔不断というのだろう。のろま。
自分の性格は自分が一番よく知っている。

したいか、したくないか。二択。
これに、「別にどちらでもよい」が加わる孕婦按摩
すると、事態に流される、ということになる。
そうなる前に決めなければ。行動しなければ。
期限を気にしながら、ぐずぐずする。
最後あたりには、脳の空気が圧縮されて決まってくるのだが。

選んだことが失敗方向だったとしても、嘆くのは自分。
誰の迷惑にもならない。
自業自得。
あまり能動的な欲求がないため、困る。
そう言いつつ、損はしたくない。嫌な目には遭いたくない前列腺肥大
煩悩のカタマリである。
損得感情が動き始めると、たちまち躍起になる。
欲深い。  

Posted by greenso at 16:10Comments(0)